我々が織り成す社会には通過点がある。 その通過点は外部からの圧力により 扉は狭いものとなっている。 通れるものは限られている。 扉を通りぬけたその先で出会うのは そう、扉の試練をくぐり抜けて変わり果てた姿だ。 見る人が見れば ダイヤモンドの原石が ダイヤモンドに生まれ変わったと言うだろう。 でも、そのダイヤモンドはどんなに光り輝いていたとしても 「ただの石」だ。 貨幣価値や評価社会から見れば、 立派な商品が出来上がったと言うのかもしれない。 「ただの石」はお金を生み出した功績が讃えられる。 これが資本主義だ。 俺は、扉の試練をくぐらずに 吐き出された「ただの石」だ。 周りをよく見てみるといい。 扉の試練をくぐり抜けた1%の「ただの石」だけが讃えられている そこら中に散らばっている爪弾きにされた99%の「ただの石」はほって置かれている ダイヤモンドは新しい扉を作り 新しい試練が増やされていく 闇雲に挑む「ただの石」はボロボロに砕かれ原型を留めない なにが自分だったのかも忘れそうだ。 そう、右に習え。社会といるルールの一員になれ。 常識を重んじろ。一般論で考えろ。 扉の試練は「ただの石」に磨きをかける。 よく見てみよう。 もともとその扉は「ただの石」が通れる扉なのか? その道へ進むべきなのだろうか? 俺はルビーの原石かもしれない。 まだ見ぬ宝石の原石かもしれない。 それなのになぜ、その扉の向こうを目指すのだろう? 型にはまった生活 ルールという枠組み その先にあるものが俺の望むものなのか? ダイヤモンド以外、生きてはいけない世界なのか? 「ただの石」ではなぜいけない? 傷ついて自分を忘れるまでその扉の試練に挑まなければいけないのか? そうこの道は一本道だ。 扉の試練をくぐらなければ「ただの石」の渋滞に巻き込まれる。 この世界にセーフティーネットはない。 この道から外れようとすれば、奈落の底に落ちてしまう。 俺のいるこの道は「ただの石」で既にごった返している。 そう、端に押し出されれば、意図せずとも奈落の底に落ちてゆく。 いつ奈落の底に落とされるのかわかったものじゃない。 だから、「ただの石」同士で足の引っ張り合いを繰り広げている。 そして、前...